東京地方裁判所 平成8年(ワ)7011号 判決 1997年7月18日
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
理由
【事実及び理由】
第一 請求
一 被告らは、平成一〇年一〇月二八日までの間、別紙目録一記載の物質を製造し、輸入し又は使用してはならない。
二 被告らは、前項記載の物質を廃棄せよ。
三 被告らは、平成一〇年一〇月二八日までの間、別紙目録二記載の医薬品を製造し又は販売してはならない。
四 被告らは、前項記載の医薬品を廃棄せよ。
五 被告らは、第三項記載の医薬品についてなされた別紙目録三記載の医薬品製造承認について、厚生省薬務局長に対し承認整理届を提出せよ。
六 被告らは、原告に対し、次の金員を支払え。
1 被告沢井製薬株式会社は、金一三〇万六八〇〇円及び内金一〇万円に対する平成八年五月一四日から、内金一二〇万六八〇〇円に対する平成九年一月二二日から支払い済みまで年五分の割合による金員
2 被告シオノケミカル株式会社は、金二五万〇四〇〇円及び内金一〇万円に対する平成八年五月一一日から、内金一五万〇四〇〇円に対する平成九年一月二二日から支払い済みまで年五分の割合による金員
3 被告大正薬品工業株式会社は、金一六万三二〇〇円及び内金一〇万円に対する平成八年五月一四日から、内金六万三二〇〇円に対する平成九年一月二二日から支払い済みまで年五分の割合による金員
4 被告辰巳化学株式会社は、金一〇万円及びこれに対する平成八年五月一四日から支払い済みまで年五分の割合による金員
5 被告長生堂製薬株式会社は、金九四万六八〇〇円及び内金一〇万円に対する平成八年五月一二日から、内金八四万六八〇〇円に対する平成九年一月二二日から支払い済みまで年五分の割合による金員
第二 事案の概要
一 本件は、存続期間の満了した特許権を有していた原告が、被告らにおいて医薬品の製造承認を得るため存続期間満了前になした試験が原告の特許権を侵害する行為であるとして、特許法一〇〇条一項及び民法一条二項に基づき侵害行為の差止め及び廃棄を請求し、特許法一〇〇条二項及び民法一条二項に基づき承認整理届の提出を求めるほか、民法七〇九条に基づき損害賠償を請求する事案である。
二 基礎となる事実
1 原告の特許権
原告は次の二つの特許権(以下「本件特許権」という。)を有していた。
(一) 新規化学化合物の特許権(以下「甲特許権」といい、その発明を「甲発明」という。)
(1) 出願年月日 昭和五一年四月二八日(特願昭五一--四七八九二号)
(2) 出願公告年月日 昭和六〇年六月二五日(特公昭六〇--二六七八四号)
(3) 優先権主張 一九七五年四月二九日のニュージーランド国特許出願に基づく優先権主張
(4) 登録年月日 昭和六一年二月二八日(特許第一三〇四〇七八号)
(5) 発明の名称 新規カルボスチリル誘導体
(6) 特許請求の範囲 本判決添付の特許公報1該当欄記載のとおり
(7) 存続期間満了 平成八年四月二八日
(二) 製剤の特許権(以下「乙特許権」といい、その発明を「乙発明」という。)
(1) 出願年月日 昭和五一年四月二八日(特願昭五九--二一四〇九五号)
(2) 出願公告年月日 昭和六一年九月三日(特公昭六一--三九二八八号)
(3) 優先権主張 一九七五年四月二九日のニュージーランド国特許出願に基づく優先権主張
(4) 登録年月日 昭和六二年四月二二日(特許第一三七六二一三号)
(5) 発明の名称 新規カルボスチリル誘導体を含有する気管支拡張剤
(6) 特許請求の範囲 本判決添付の特許公報2該当欄記載のとおり
(7) 存続期間満了 平成八年四月二八日
2 原告の実施
(一) 別紙目録一で化学構造式をもって示した化合物は、化学名は、甲発明の特許請求の範囲第4項に記載された化合物5--〔(1--ヒドロキシ--2--イソプロピルアミノ)ブチル〕--8--ヒドロキシカルボスチリル塩酸塩の二分の一水和物であり、一般名を「塩酸プロカテロール」と称する化合物である。
(二) 原告は、右塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤(商品名「メプチン」)を製造販売している。剤型としては、塩酸プロカテロールを〇・〇五mg含有する錠剤「メプチン錠」、〇・〇二五mg含有する錠剤「メプチンミニ錠」及び一ミリリットルあたり〇・〇〇五mg含有するシロップ「メプチンシロップ」等がある。
3 被告らの行為
(一) 被告らは、本件特許権の存続期間満了後直ちに塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤を製造、販売すべく、別紙目録三記載のとおり、薬事法一四条所定の医薬品製造承認を受けた。
(二) 被告らが製造承認の申請をするにあたっては、以下の資料の添付が必要である(薬事法一四条三項、薬事法施行規則一八条の三、昭和五五年五月三〇日薬発第六九八号薬務局長通知)。
<1> 規格及び試験方法に関する資料(物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料の一つ)
<2> 加速試験に関する資料(安定性に関する資料の一つ)
<3> 生物学的同等性に関する資料(吸収、分布、代謝、排泄に関する資料の一つ)
(三) 被告らは、医薬品の製造承認申請に必要な資料を得るために行う各種試験において、塩酸プロカテロールを自ら製造するか、又は輸入若しくは他より購入して使用し、塩酸プロカテロールを含有する医薬品を製造する必要がある。
(四) 被告らは、塩酸プロカテロールの製造、輸入又は使用、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の製造又は販売を準備し、被告辰巳化学株式会社(以下「被告辰巳化学」という。)を除くその余の被告らは、平成八年七月一日以降、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤(以下「被告製剤」という。)を販売している。
4 製造承認に至る経緯
(一) 先発メーカーの新薬開発の経緯の概略
(1) 基礎研究(二~三年)
<1> 新規物質の創製
<2> 物理的化学的性状の研究
物理的・化学的に新規物質の性状・構造等を調べる。
<3> スクリーニング
新規物質のなかから薬効が認められる有用物質を選び出し、動物実験で薬効と毒性を比較する。これにより開発を継続するか断念するかを決定する。
(2) 動物での前臨床試験(三~五年)
<1> 薬効薬理研究
どれくらい与えると効果があるか、どのような方法で使用するか等を調べる。
<2> 薬物動態研究
体内でどのように吸収され、分布し、排泄されるかなどを調べる。
<3> 一般薬理研究
どのような部分にどのような強さ、速さで作用するか等の薬の性質を全体的に調べる。
<4> 一般毒性研究
短期・中期・長期に分けて毒性(安全性)を調べる。
<5> 特殊毒性研究
発癌性や胎児への影響がないかなど特定の毒性(安全性)を調べる。
(3) 臨床試験(三~七年)
<1> 第一相試験(フェーズ1)
少数の健康人志願者を対象に安全性のテストを行う。
<2> 第二相試験(フェーズ2)
少数の患者で安全性と有効性を確認する。
<3> 第三相試験(フェーズ3)
多数の患者で「二重盲検試験」などにより、既存薬などと比較して新薬の有効性を検査する。
(4) 承認審査(二~三年)等
<1> 医療上の有効性と安全性が確認された新薬について、厚生省に薬事法上の製造承認を申請するが、その資料としては次のものが必要となる(薬事法一四条三項、薬事法施行規則一七条、一八条の三、昭和五五年五月三〇日薬発第六九八号薬務局長通知)。
イ 起原又は発見の経緯及び外国における使用状況等に関する資料
1 起原又は発見の経緯に関する資料
2 外国における使用状況に関する資料
3 特性及び他の医薬品との比較検討等に関する資料
ロ 物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料
1 構造決定に関する資料
2 物理的化学的性質等に関する資料
3 規格及び試験方法に関する資料
ハ 安定性に関する資料
1 長期保存試験に関する資料
2 苛酷試験に関する資料
ニ 急性毒性、亜急性毒性、慢性毒性、催奇形性その他の毒性に関する資料
1 急性毒性に関する資料
2 亜急性毒性に関する資料
3 慢性毒性に関する資料
4 生殖に及ぼす影響に関する資料
5 依存性に関する資料
6 抗原性に関する資料
7 変異原性に関する資料
8 がん原性に関する資料
9 局所刺激に関する資料
ホ 薬理作用に関する資料
1 効力を裏付ける試験に関する資料
2 一般薬理に関する資料
ヘ 吸収、分布、代謝、排泄に関する資料
1 吸収に関する資料
2 分布に関する資料
3 代謝に関する資料
4 排泄に関する資料
ト 臨床試験の試験成績に関する資料(五ケ所以上一五〇例以上--主要効能あたり二ケ所以上、一ケ所二〇例以上)
<2> そして、中央薬事審議会の審査をパスしたものに対し、厚生大臣から製造承認が下され、更に、通常は、健康保険医薬の適用を受ける薬価基準収載の後に販売されることになる。
(5)<1> 市販後調査(第四相試験[フェーズ4])
新薬の場合は製造承認後六年間、多くの患者に投薬された結果、開発段階では発見できなかった副作用や有効性のデータ収集が義務づけられている。
<2> 再審査
そして、その収集データを製造承認六年経過後に提出し、有効性、安全性の再審査を受けるように義務づけられている。
(二) 後発メーカーの製造承認について(薬事法一四条三項、薬事法施行規則一八条の三、昭和五五年五月三〇日薬発第六九八号薬務局長通知)
(1) これに対し、後発メーカーの場合は、多くの費用がかかる基礎研究、動物による前臨床試験及び臨床試験は必要がないばかりか市販後調査、再審査も義務づけられていない。
(2) 更に製造承認の申請においても、既に先発メーカーが提出した資料により有効性、安全性が確認されているため、以下の資料の添付のみが必要とされているだけである。
<1> 規格及び試験方法に関する資料(物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料の一つ)
<2> 加速試験に関する資料(安定性に関する資料の一つ)
<3> 生物学的同等性に関する資料(吸収、分布、代謝、排泄に関する資料の一つ)
三 争点
1 特許権の存続期間満了後に、特許法一〇〇条及び民法一条二項に基づき侵害行為の差止め、廃棄、承認整理届の提出を請求することができるか。
2 特許権の存続期間満了後の当該特許発明の実施に必要な薬事法所定の医薬品製造承認の申請に添付すべき資料を得るため、被告らが存続期間中に行った各種試験における当該特許発明の実施品の使用、そのための製造、輸入等は本件特許権を侵害するか。
(一) 被告らの行為は、「業としての実施」に当たるか。
(二) 被告らの行為は、特許法六九条一項所定の「試験又は研究」に当たるか。
(三) 被告らの行為に実質的違法性があるか。
(四) 被告製剤は、本件特許権の技術的範囲に属するか。
3 損害の有無及び額
四 争点に関する当事者の主張
1 争点1について
(一) 原告の主張
(1) 特許権者はその特許権の対象たる発明につき、存続期間中、その実施につき独占権を保障され、第三者はその不実施の義務を負担している。これを本件に当てはめれば、原告は本件各特許権の存続期間である平成八年四月二八日まで本件特許権の実施につき独占権を保障され、被告らは不実施の義務を負担したのである。そして、この独占権の保障は、特に多年の研究開発期間と多額の開発経費を要する医薬品発明においては重視されるべきものである。
(2) 原告の特許法上の地位が保障されたとしたら、逆に、被告らが特許法を遵守したならば、被告らの医薬品の製造販売行為は、平成一〇年一〇月二九日以降しかなせなかったはずである。しかるに、被告らは、原告の本件特許権の存在、その技術的範囲を知悉しながら、これを無視し、前記の侵害行為を本件特許権の存続期間中になし、もって、早期の製造販売の開始を企図したのである。
(3) 特許法上の独占権の保障は、該特許権の存続期間中であることは原則ではあるが、その存続期間経過後においても本件のような場合には信義則上及ぶと解釈されるべきものである。なぜなら、特許権の存続期間中に故意に違法行為をなした者が、その違法行為をなしたことにより有利な地位になることは公平、正義に反するからである。
(4) よって、原告は特許法一〇〇条一項、民法一条二項に基づき、平成一〇年一〇月二八日までの間、被告らが塩酸プロカテロールを製造、輸入又は使用すること、及びこれを有効成分とする気管支拡張剤を製造販売することの差止め及び廃棄を請求するとともに、特許法一〇〇条二項、民法一条二項に基づき、差止めを実効あらしめるため、製造承認につき承認整理届の提出を請求するものである。
(二) 被告沢井製薬株式会社(以下「被告沢井製薬」という。)の主張
(1) 特許法一〇〇条一項は、差止を求めうる者について、「特許権者」と規定しており、原告の本件特許権は消滅し、特許権者に該当しない原告が差止め等の請求権を有しないことは明らかである。
(2) 特許権の存続期間満了後の特許権者の地位に基づく権利なるものは、薬事法の規制に適合するために原告が必要と想定する期間中は第三者により本件特許権が実施されない可能性が高いという、単に薬事行政の運用により生じる反射的利益にすぎず、何ら法的に保護されるべきものではない。
(3) 後発メーカーが特許権の存続期間満了後に当該特許権にかかる医薬品を製造販売できることは、特許法上当然の事柄であり、有利な地位と評されるべきものでないし、公平、正義に反するとはいえない。
(三) 被告シオノケミカル株式会社(以下「被告シオノケミカル」という。)及び被告辰巳化学の主張
(1) 特許権を確定期間をもって消滅させることは、特許制度そのものから必然的に出てくる原則であるから、存続期間は一義的に明確なものでなければならず、民法の一般原則をもって存続期間の実質的な延長を認める解釈は許されない。
(2) 特許権の存続期間といった、法により客観的に定められるべき権利義務関係について、信義則の名のもとに恣意的な解釈を持ち込むことは、私法秩序を不当に乱すおそれがあり、許されない。
(四) 被告大正薬品工業株式会社(以下「被告大正薬品工業」という。)及び被告長生堂製薬株式会社(以下「被告長生堂製薬」という。)の主張
(1) 特許法六七条が特許権の存続期間を一定期間に限定する趣旨は、その期間内に特許権者に一定の独占権を付与するとともに、その一定期間経過後は一般公衆にその開示された発明を自由に利用させ、この両面において技術の進歩と産業の発展に寄与せんとするものである。特許権の存続期間経過後も信義則等を根拠に特許権に基づく差止請求等が認められるとすることは、特許法に定めた法定期間を超えて特許権の効力の存続を認め、法定期間を特許法外の事由によって延長するもので、存続期間を法定する趣旨や差止請求権を認める特許法一〇〇条の文言に反し、信義則により対人的に異なる存続期間を認めることは特許権の物権的性格と矛盾する。
(2) 原告の主張は、特許法とは制度目的を異にする別個の法律とそれに基づく行政上の規制を根拠とするもので、特許法上の根拠がない。
2 争点2(一)について
(一) 原告の主張
被告らの製造承認申請のための製造、使用行為は、特許法二条三項一号で定義される「実施」に該当し、被告らの営業のためになされたものであるから、その実施は「業として」なされたものである。
(二) 被告大正薬品工業及び被告長生堂製薬の主張
(1) 被告らの製造承認申請のため行った試験は、先行する発明を検証し、その先行発明の目的物質を使用して製剤化するために必要な知識の獲得と製剤化技術の研究等をなすものであって、特許法六八条が規定している「業としての特許発明の実施」に該当しない。
(2) このような解釈は、特許法六七条二項が、特許権者の先発医薬品の製造承認申請にかかる試験が「業としての特許発明の実施」に該当しないとしていることとも合致する。
3 争点2(二)について
(一) 原告の主張
(1) 特許法六九条一項は、技術を進歩させる目的でなす試験、研究を許容するもので、技術を進歩させる目的以外の目的でなす試験、研究には特許権の効力が及ぶ。
(2) 被告らの製造承認申請のための各種試験は、後発医薬品の製造販売を可能とするための製造承認申請のデータを得る目的で、被告らの利益を追求するもので、特許法が目的とする産業発達に資するような技術の進歩を目的とする試験ではないから、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」ではない。
(二) 被告沢井製薬の主張
(1) 後発品メーカーの行う製造承認申請のための各種試験は、薬事法一四条四項、薬事法施行規則一八条の三に法令上の根拠を有し、かつ、その目的は当該医薬品が先発の医薬品と同等以上の安定性、有効性を有するものであることを確認するものであり、医薬品の品質向上を図るというもので、特許法六九条一項の「試験又は研究」たる性質を有する。
(2) 被告沢井製薬の行った各種試験は、製造承認申請書に添付するデータを得るためにする形式的なものでなく、製剤の試作検討とその安定性、有効性を確認する過程を含むものであり、期待した成果が得られなければ処方を変更して再度実験を繰り返すのであるから、製剤研究としての側面をも有する。
(三) 被告シオノケミカル及び被告辰巳化学の主張
(1) 特許法六九条一項の「試験又は研究」を、技術の進歩を目的とするものに限定すると、特許制度の中に組み込まれている追試や比較試験が特許権侵害として実施できなくなり、妥当性を欠く。したがって、特許法六九条一項の「試験又は研究」は、特許権者の利益と公衆の利益を勘案した上で、特許権者の経済的利益を害さない限りにおいて広く試験、研究の自由を認める趣意と解するべきである。
(2) 被告らの行った医薬品製造承認申請に伴い行われる試験行為は、国民の安全性を守るとの見地から、法律上要求される極めて公益性の高いものであり、一方、その試験は原告に対し何らの損害も与えることのないものである。したがって、その公益性の観点からしても、医薬品製造承認申請のための試験行為は、特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当する。
(四) 被告大正薬品工業及び被告長生堂製薬の主張
(1) 特許制度の目的は、特許権の付与による発明の保護と技術を開示させることによる一般公衆の発明へのアクセス、利用をはかり、産業の発達に寄与することにある。一般公衆の実験、研究を促すことも、特許制度の重要な機能であり、特許法六九条一項が設けられる理由である。利益追求のための試験研究も、期間満了になったときに備えてデータを揃えるためのそれも、試験研究に従事する側にその発明の諸相を把握させ、生きた知識を獲得させ、発明の有効性と限界を知らせ、改良発明や関連技術の開発の端緒となり、産業の発達に寄与するのであって、それが特許制度のねらいであり、特許法六九条一項の存在理由でもある。
(2) 後発医薬品製剤の製造承認申請に際して行われる各種試験において、製剤実験に供するため先行特許発明の目的物質を製造するという特許発明の実施は、発明の技術内容を確認するための追試である。また、この特許物質を製剤として試作し、その有効性、安全性を研究することは、特許物質の作用、効果の検証や新規な知識の獲得と新たな製剤技術の開発という技術の進歩をもたらす。
4 争点2(三)について
被告沢井製薬の主張
被告らの行った各種試験は、本件特許権の存続期間内における被告製剤の製造販売を意図した行為ではなく、右存続期間満了後における製造販売を目的とするものにすぎないのであるから、本件特許権の存続期間内において本件特許発明を独占的に実施し得る原告の地位を脅かすものでなく、特許侵害行為としての実質的違法性を欠く。
5 争点2(四)について
(一) 原告の主張
被告製剤の有効成分である塩酸プロカテロールは、甲発明の技術的範囲に属する。したがって、被告らが医薬品の製造承認を得る目的でなした各種試験を行なうための塩酸プロカテロール(原末)の製造、輸入又は使用は、甲特許権を侵害する。また、この塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の製造は、乙特許権を侵害する。
(二) 被告大正薬品工業及び被告長生堂製薬の主張
甲発明の特許請求の範囲には、5--〔(1--ヒドロキシ--2--イソプロピルアミノ)ブチル〕--8--ヒドロキシカルボスチリル塩酸塩の二分の一水和物は包含されないから、被告製剤に使用する塩酸プロカテロールは、甲発明の技術的範囲に属さない。
6 争点3について
(一) 原告の主張
(1) 被告らが本件特許権の存続期間満了後承認申請に必要な試験を行えば、被告らが医薬品を製造販売開始できるのは平成一〇年一〇月二九日以降であるから、それ以前の医薬品の製造販売行為により被る原告の損害は、被告らの特許権侵害行為と相当因果関係がある。
(2) 被告らは、各種試験を行うための塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の製造により、少なくとも各一〇万円の利益を得ている。
(3) 被告辰巳化学を除く被告らは、平成八年七月一日から同年一〇月末日までの間、いずれも塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤を以下のとおりの額を販売し、利益を得た。
(販売額) (利益)
被告沢井製薬 三〇一万七〇〇〇円 一二〇万六八〇〇円
被告シオノケミカル 三七万六〇〇〇円 一五万〇四〇〇円
被告大正薬品工業 一五万八〇〇〇円 六万三二〇〇円
被告長生堂製薬 二一一万七〇〇〇円 八四万六八〇〇円
(4) 被告らの得た右利益は、いずれも原告の損害と推定される。
(二) 被告らの主張
否認する。
第三 当裁判所の判断
一 争点2について
1 被告らが、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤につき、別紙目録三記載のとおり、本件特許権の存続期間中に医薬品製造承認を受けたこと、被告らは、右製造承認申請に必要な資料を得るための各種試験において、塩酸プロカテロールを自ら製造するか、または輸入若しくは他より購入して使用し、塩酸プロカテロールを有効成分とする医薬品を製造する必要があったことは、前記認定のとおりである。してみると、被告らは、原告の本件特許権の存続期間中に、特許法二条三項一号に規定する「実施」行為を行ったものと、一応認められる。
2 特許法六九条一項は、「特許権の効力は、試験又は研究のためにする特許発明の実施には、及ばない。」旨を規定する。
特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有し(特許法六八条本文)、特許権は、独占排他権であるから、特許権者の了解なくして特許発明を業として実施することは原則としてできない。他方、特許法の目的が、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する(特許法一条)ことにあることからすれば、独占権である特許権の効力も、特許権者の利益と発明を利用する第三者ないし社会一般の利益との調和を図るという産業政策上の見地から制限されることがある。
そこで、特許法六九条一項は、試験又は研究のためにする特許発明の実施について、特許権の効力が及ばない旨を明らかにしているところ、右法条の立法趣旨は、特許権の効力を試験又は研究のためにする特許発明の実施にまで及ぼしめることは、かえって技術の進歩を阻害し、産業の発達を損なう結果になるため、これを制限すべきであるとの産業政策上の判断によるものと解される。
右のような立法趣旨に鑑みると、特許法六九条一項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するか否かについては、特許権者の利益と第三者ないし社会一般の利益の調整を図るという観点からこれを比較考量して決するべきものと解される。
このような観点からみると、技術を改良し、技術を次の段階に進歩させることを目的とする試験又は研究が同条項にいう「試験又は研究」に当たるものであることはいうまでもないが、原告が主張するように、同条項にいう「試験又は研究」がこのような技術の進歩を目的とする試験又は研究のみに限定されるとすることは相当でない。
したがって、薬事法に基づく後発品の製造承認申請に添付する目的で行う試験が、同条項にいう「試験又は研究」に該当するか否かについては、特許法の解釈と薬事法による医薬品製造承認制度の整合性を考慮しつつ、特許権者の利益と第三者ないし社会一般の利益の調整を図るという観点に立って判断すべきものと解される。
3(一) これを本件についてみると、前記認定のとおり、被告らは、原告の本件特許権の存続期間満了後直ちに被告製剤を製造販売するため、医薬品の製造承認申請に必要な資料を得ようとして、塩酸プロカテロールを自ら製造するか、又は輸入若しくは他より購入して使用し、塩酸プロカテロールを含有する医薬品を製造したうえ、<1>規格及び試験方法に関する資料、<2>加速試験に関する資料、<3>生物学的同等性に関する資料を得るための各種試験を行い、これによって得た資料を添付して、いわゆる後発品の製造承認を申請し、医薬品製造承認を得たものである。
(二) 医薬品については、薬事法による規制を受けるものであるところ、同法によれば、医薬品等を製造しようとする者は厚生大臣の承認を受けることを要するものであり(同法一二条一項、一三条一項、一四条)、厚生大臣は、医薬品等につき、これを製造しようとする者から申請があったときは、品目ごとにその製造についての承認を与え(同法一四条一項)、その承認は、申請に係る医薬品等の名称、成分、分量、構造、用法、用量、使用方法、効能、効果、性能、副作用等を審査して行う(同条二項)ものとされ、右承認を受けようとする者は、厚生省令で定めるところにより、申請書に臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を添付して申請しなければならない(同条三項)旨規定されている。
薬事法は、医薬品等の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うとともに、医療上特にその必要性が高い医薬品等の研究開発の促進のために必要な措置を講ずることにより保健衛生の向上を図ることを目的とする(薬事法一条)ものであり、同法に基づく医薬品の製造承認のための審査は、医薬品の有効性や安全性の確保を目的とする、極めて公益性の強いものであって、その承認申請に添付すべき審査資料を得るため、前記各種試験が要求されるのも、同様に医薬品の有効性や安全性を確保し、国民の保健衛生の向上を図るという目的を達成するためである。
(三) 後発品の製造業者としては、特許発明の明細書に開示された有効成分と同一の医薬品を製造しようとする場合であっても、自らの知識や技術、研究に基づいた製剤処方を検討したうえで製剤の安定性、均一性を確保しなければならないうえ、先発品と同程度以上の効能が認められるよう、技術を磨き、研究を重ねる必要があること、さらに、これらの試験の際には、医薬品の特性を生かし、有効性を十分発揮させるために、製剤の過程で独自の技術が必要であり、最適な安定性、均一性等が得られるように研究し、好ましくない生理活性を取り除いたりするなどして、特許権により開示された有効成分をそれに最も適するように製剤化するという、科学的研究の側面をも有するものであり、そこに用いられた製剤技術は、被告らにおいて研究開発したものと推認される。
したがって、被告らが後発品の製造承認申請をするために行う試験におけるこれらの過程は、単に製造承認申請に添付するというだけでなく、医療用技術の進歩にも寄与する側面も有するものと解される。
(四) 薬事法が、後発品の製造者に対し、医薬品製造承認にあたり、前記各種試験の実施及びそのデータの添付を求め、審査を行うのは、前記のとおり、医薬品の有効性や安全性を確保し、国民の保健衛生の向上を図るという目的を達成するためであり、後発品が先発品と品質において同等であり、同様の有効性、安全性があることを担保するためであって、当該医薬品にかかる特許権者の独占的地位を保護することを目的とするものではない。
このように、医薬品の製造販売をする際に製造承認申請を要するのは、安全な医薬品の提供という行政目的に基づくものであり、薬事法の規制は特許法とその目的を異にするものである。また、製造承認が得られるまでにある程度の期間を要するのも、行政上の事務処理に一定の時間がかかるといった事実上の要因によるものであって、特許権者に対する独占権の付与という特許法の趣旨とは全く無関係の結果といわざるを得ない。そして、かかる薬事行政上の取扱いによって、結果的に特許権者が特許期間を延長したのと同様の利益を享受できることがあるとしても、それは右行政上の取扱いによって生じる事実上の利益にすぎず、いわば反射的利益であって、特許法が保護する利益には当たらない。
(五) 他方、特許権の存続期間は法律で定められ(特許法六七条一項)、一定の要件を具備した特許権については存続期間の延長も認められている(同条三項)が、存続期間が経過すれば、何人であっても特許されていた発明を自由に実施することができ、特許権者であった者は、それを差止めることができない。
それは、発明を公開した者に対し、その代償として一定期間、業としてその発明を実施する権利を専有させるが、その期間の経過後は、第三者がその発明を実施することができるものとすることによって、特許権者の利益と一般社会の利益の調和を図り、技術の進歩と産業の発達に寄与するという、特許法の目的を具体化したものである。
仮に、後発品についての医薬品製造承認申請に添付すべきデータを得るための試験が当該医薬品についての特許権の侵害に当たるとして、その特許権の存続期間終了後に試験を開始すべきものとすると、試験期間及び審査に要する期間(原告の主張によれば合計二年六か月)、特許権者が、特許権の存続期間の終了後もなお、当該発明の実施を独占的に実施できる結果となる。
(六) 被告らは、本件特許権の存続期間満了後に被告製剤を製造販売することを目的としたもので、本件特許権の存続期間中は、前記各種試験によって、収益を得たわけでもなく、特許権者であった原告と直接競業したものでもない。
4 以上認定のとおり、存続期間満了後に製造販売する目的で薬事法に基づきいわゆる後発品の製造承認申請を行うため、右承認申請に添付する目的で、必要な試験としてされた被告らの行為は、医薬品の有効性や安全性の確保を目的とするもので、医療用技術の進歩にも寄与する側面を有するものであり、仮に被告らの行為を違法とした場合、本来存続期間が満了して特許権をもはや独占できないはずの特許権者が結果として独占的地位をさらに一定期間享受できることになるが、これは特許法が保護する利益とはいえないうえ、被告らが本件特許権の存続期間中収益を得たり原告と競業していないことも合わせ考えれば、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当すると認めるのが相当である。
以上のとおり、被告らの行為は、いずれも特許法六九条一項に規定する「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当し、本件特許権の効力は及ばないものというべきである。
二 結論
よって、被告らが本件特許権の存続期間中に行った試験のためにする本件特許発明の実施に違法性があったことを理由として、本件特許権の存続期間満了後の被告らの行為が違法性を有するとの主張は理由がないから、その余の争点について判断するまでもなく、右実施が違法であることを前提とした差止め、廃棄、整理届の提出及び損害賠償請求は、いずれも理由がない。
東京地方裁判所民事二九部
(裁判長裁判官 高部真規子 裁判官 榎戸道也 裁判官 大西勝滋)